呑ちゃんの日々是好日

日々を大切にして残り少ない人生の日記をぼちぼち写真で綴ります

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大江戸歴史散歩 浅草

久しぶりに台東区浅草方面の歴史散歩

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三ノ輪橋
石神井川の支流として王子から分流して日暮里を得て現日光街道を横切り、
山谷堀に至る音無川に架かっていた橋

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栄法山浄閑寺(通称「投げ込み寺」)

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侠客により22歳にして非業の死を遂げた遊女「若柴」の墓碑の頭の上に置いてありました

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新吉原総霊塔(生まれては 苦界 死しては 浄閑寺)花酔
安政の大地震(1885年)多くの吉原遊女が死亡した際投げ込まれたので当時の
住職が葬った。当時の過去帳が未だ残っている 

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山谷堀の土手跡

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明治38年創業の馬肉料理屋さん(この辺はこの頃多くの馬肉屋が並んであった)

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明治22年創業の天麩羅の「伊勢屋」
サラリーマン時代会社が近かったのでよく食べに行きました

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吉原大門の「見返り柳」何代目だろう?

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小穴様・・・場所が場所だけに・・・考え過ぎか(>▽<;; アセアセ
この神社の土地を守る神様がいるそうで、お参りすると福が来るとのこと

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吉原神社奥院

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関東大震災の新吉原弁天池
一カ所しかない大門から出ることの出来ない多くの遊女は、燃えさかる
火から逃れるため奥にある弁天池に飛び込むが490人の死者を出した

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この写真は、辛い

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ここから千束を抜けひさご通りへ

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入館料無料

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そして浅草寺雷門から

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仲見世へ

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ななめ~傘刺しながらの撮影だけど(・・;)

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戦災に遭わなかった二天門「1649年慶安2年」頃建立

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伝説姥ヶ池の碑
昔々浅茅ヶ原の一軒家に住む老女が、一夜の宿を貸した999人の旅人を殺し、
身ぐるみをはぎ取ったが、1000人目に殺した旅人は変身した自分の娘だった
と言うお話

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山の宿の渡し

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隅田公園を抜け

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江戸時代猿若町にあった歌舞伎三座の「中村座」跡

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市村座跡

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守田座跡

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待乳山聖天脇にある池波正太郎生誕の地碑

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この大根を買って?

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大根の供物です

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そして帰りに半分に切った大根を戴く

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江戸時代の築地塀

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竹屋の渡し跡
江戸時代山谷堀口辺りから隅田川お渡り三囲神社辺りに結ばれていた

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水門が暗渠になった山谷堀口
ここから吉原大門まで、舟で行くのが粋だったよう

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暗渠になった山谷堀跡
若かった頃まだ工事前で残っていた

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今戸焼き発祥の地碑の脇に、新撰組沖田総司の終焉の地碑

ここからあいりん地区山谷を抜け
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涙橋
江戸時代日光街道沿いにあった処刑場へ向かう罪人が、家族とここで別れる

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小塚原刑場跡延命寺

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首切り地蔵

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東北地震の後行ったら、こんな状態でした

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解体新書の碑
明和8年(1771年)蘭学者「杉田玄白・中川順庵・前野良沢」等により、刑死者の
解剖を立ち会い解剖新書を翻訳した記念碑

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右から「腕の喜三郎・高橋おでん・片岡直二郎・ねずみ小僧次郎吉」
ねずみ小僧の墓は、削り取られてぼろぼろなので新しくなった

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橋本左内

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吉田松陰他
遺骨は、後に門下生が移動した

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旧日光街道
区画整理の時多くの人骨が発掘されたので「骨通り」と呼ばれている

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素盞雄神社

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松尾芭蕉の碑

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富士塚

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国道4号線を上野方面へ向かうと右側にある

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上野寛永寺の黒門
彰義隊を葬った縁で当時の銃穴だらけの黒門をここに移した

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上野戦争で亡くなった彰義隊を葬った場所

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江戸後期の町火消し、鳶頭、浅草寺の伝法院の新門の門番から依頼する
徳川慶喜を大阪から護衛をし警備をしている。

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公春院

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三ノ輪へ戻り帰宅
予報より早い雨で途中帰ろうかなと思うが最後まで歩くことが出来た
それにしても傘を持ちながら歩くのはやはり疲れた(〃´o`)=3 フゥ









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赤坂散歩

天気が良いので、会社の最寄り駅より4駅手前で降りて、歩く

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数日前の早朝の赤坂サカス

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会社帰りに、同じコースを歩くのは飽きたので、脇道にそれて勝海舟邸跡を訪ねる
幕末、活躍していた頃の住居跡。坂本龍馬も、教えを請いに通っていたかも

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案内板を読んで、海舟は、赤坂をこよなく愛し、結婚新居から、終生この地に
住まわれていたようなので、巡ることにした。

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探している内に道に迷い、ここへ来た
忠臣蔵で知られる浅野内匠頭の妻「瑤泉院」の実家跡地に八代将軍吉宗により
造営された、都有形文化財の赤坂氷川神社
此処まで来たのならばと

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仇討ち前に、瑤泉院に挨拶帰りの場面。雪の南部坂に寄り道
歌舞伎での場面で、実際はなかったようですが?

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洋食の赤坂「津つ井」まだ開店前だった。

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明治維新以降生涯此処に住まわれたそうだ

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明るい時間帯は?
子供たちが楽しそうに滑っていた。少し滑ろうかなと思うが、お腹でどうぞと、
言われそうなので、やめた(^_^;)

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案内板の住所によると、この辺りが新婚時代に借家住まいしたところらしい
さて帰るとするか!!


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