呑ちゃんの日々是好日

日々を大切にして残り少ない人生の日記をぼちぼち写真で綴ります

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北京の旅 内西路

次は、内西路の西6宮を散策

西六宮とは、
儲秀宮(ちょしゅうきゅう)翊坤宮(よくこんきゅう)
咸福宮(かんふくきゅう)長春宮(ちょうしゅんきゅう)
太極殿(たいきょくでん)永寿宮(えいじゅきゅう)
を総称して、西六宮と言われ側室や后妃が居住した処
有名な西太后は、此処に住居していたからそう呼ばれる
ようになったそうな

今日はその内の三カ所しか観る事が出来なかった
ほかは閉鎖されていた





儲秀宮(1655年改修)
西太后(慈禧太后じきたいごう)の住居



案内板には、1884年に西太后の50歳を祝って
大金を使って改修されたとある?































皇族専用の電話室?






太和殿









翊坤宮(よくこんきゅう)
西太后が貴妃身分時の住居












内西路



永寿宮閉鎖



太極殿(たいきょくでん)
明朝12代皇帝「嘉靖帝(かせいてい)」の生父「興献王朱生(こうけんおうしゅせい)」の生誕の処
清の同治帝の后妃「瑜妃」の住居


















養心殿(1723再建)閉鎖
清の雍正帝以下8代の皇帝住居







わずかに、この3宮しか観る事が出来なかったのは残念で
溥儀の住居もあるようだが、見ることは出来なかった

次は内廷の東側にある内東路に移動
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北京の旅 故宮

10月20日(5日目)
今日は、曇りで雨も少しぱらついたりの生憎の天気だが三度目の正直で、故宮博物院を散策

故宮(紫禁城)は、1406年明朝の永楽帝により建設が始まり
1421年に完成し、南京から北京に遷都されてから現在に至る
詳しくはWikipedia


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地下鉄駅前で


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今日の朝食これで済ます


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地下鉄で天安門に3日も続けて来れば、写真も違った角度で(笑)


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レストラン


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朝食で結構並んでる


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オッ・・・空いてる


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と、思いきや・・・入場券売り場が開くころ混雑してきた~
でもこの間よりは、ましか!


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入場券を買って



午門ごもん(1420年創建)
焼失により1647年に再建して、1801年に改修された
毎年陰暦10月1日に、次の年の暦を皇帝が民に与える
「頒朔(はんさく)」という典礼が行われた


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いよいよ午門から故宮の外朝に


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太和門たいわもん(1420年創建)
現存は、1889年に再建


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明代に、「御門聴政(ぎょもんちょうせい)」という皇帝が
臣下の上奏を聞いたり詔勅を発したりしていた


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昭徳門


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内金水橋


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振り返り午門を見る


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太和門から太和殿たいわでん(1420年創建)
現在のは、1695年再建された物
太和殿は紫禁城の中心となる正殿で、重要な国家的式典が
行われた
映画「ラストエペラー」における即位シーンはここで?


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パノラマで


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宝座


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中和殿ちゅうわでん(1420年創建)1645年再建
太和殿に対する控えの間でアルとともに、天壇や地壇などで
行われる祭祀前に農具や種子を点検したり、「玉牒ぎょくち
ょう」という皇室の家系図を点検していた



宝座






保和殿ほわでん(1420年創建)1645年再建
明代は、謹身殿と称し大典の前に衣装を替える場所
清代は、陰暦大晦日と1月15日にモンゴルなど王侯を
招いて宴が行われた



宝座









衣装を着て記念撮影できる



保和殿回廊を見る



乾清門けんせいもん(1420年創建)1747年改修
内廷への正門で、清代では「御門聴政」という皇帝が
諸大臣の政務報告を受ける場所






大石雕
保和殿北側中央通路の龍を刻んだ巨大な一枚岩のレリーフ



獅子像









乾清門内に土産物屋がある



内廷に入る
内廷は、皇族一家の居住区



乾清宮けいせいきゅう(1420年創建)1798年再建
皇帝が就寝した「寝宮」であったが、雍正帝以降は
保和殿の行事をこちらに移した














日時計



乾清宮から見る日精門





宝座






交泰殿こうたいでん(1797年再建)




宝座と格子天井「藻井そうせい」



坤寧宮こんねいきゅう(1420年創建)1655年改修
明代は、皇后の寝宮であったが、改修後は満州族が
信仰するシャーマニズムの神を祀る場所、皇帝の婚
礼が挙行される場所となった。









坤寧門



御花園ぎょかえん(1420年創園)
この後ろに天一門
うっかり見逃し欽安殿へは散策していない(^^;)






養性斎ようせいさい(1815年改修)
1919年から1924年まで溥儀がイギリス人教師
ジョンストンに英語を学んだ場所






千秋亭
欽安殿を挟むようにして万春亭がある



千秋亭天井

まぁ~とにかく広い広大だ。
じっくり見て歩くにはほぼ一日かかる。駆け足で観てると
人が多いと言うこともあり見逃したところが多い(^^;)

まだまだあります。
次回は、西太后が住んでいた内西路


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北京の旅 圓明園

さて・・・九州の旅も終わり中途だった、中国の旅の再開
中山公園の南門から出て、地下鉄で次に向かう


天安門



天安門広場の毛主席記念館を望む



地下鉄に乗って






壁にコマーシャルが



圓明園駅
壁に圓明園の西洋楼の遺跡モニュメントが



圓明園は、1709年(康熙48年)に清朝4代皇帝康熙帝が
皇子の胤禛(いんしん)に下賜した庭園がその起源となる。

胤禛が皇帝(雍正帝)に即位、1725年(雍正3年)以降様々な
建物が増築され、庭園も拡張された。

乾隆帝の時代には、円明園の東に長春園、南東に綺春園(のち
に万春園と改称)が設けられた(この円明園、長春園、綺春園
を総称して、広義の円明園となる)。
Wikipediaより



余りにも広い庭園






長春園北側にある西洋楼遺跡へまっしぐらに向かう



監碧亭



石断橋
往時の橋はこれのみ遺る






紅葉が綺麗



海晏堂の十二支像の展示無料とあるから入る



複製






頭部が胴体に付いた本来の姿のミニチュア



土産物屋だった~
要するによび込みのための看板だったのね(×_×)






夏は、蓮の花で綺麗だろうなー



見えてきた






イエズス会士のブノワ(en:Michel Benoist)、カスティリオーネ
らが設計にかかわった噴水が設けられ、西洋風の建物・西洋楼が
建てられた。
Wikipediaより



1856年アロー戦争(第二次アヘン戦争)でイギリス、
フランス連合軍により宝物は悉く略奪され西洋楼は
徹底的に破壊され廃墟となった
Wikipediaより









自撮り棒で記念撮影のおばさま方






採掘していました。将来再現するのでしょうか?



黄花陣
横89m,縦59m,全長1600mの壁で出来た迷路



黄花陣から見る迷路
中秋節の夜に一筋の灯りを頼りに迷路を伝って中央にある
黄花陣まで行く遊びをしていたそうだ

遺跡はここで終わりかと思ってがっくりしていたら、
どうやら奥にまだあるようなので、行ってみると






在りました(´∇`) ホッ



海晏堂の噴水時計跡
この噴水時計に設置されていたのが前述の十二支像



↑の復元?
この頃から、お昼に食べた弁当が原因か?
おなかの調子がおかしくなる






お腹がゴロゴロ









イエズス会士のブノワ(en:Michel Benoist)?






いよいよ我慢できずトイレを探し駆け込むが・・・
全部使用中ああ~(,,゚д゚)ヤー(゚ω゚,;)バー(;;・∀・)イィー
空いた間に合ったC=(´。`)ふぅ



安心して、近くにある博物館に
























お腹の調子は問題ないと思うが、またおかしくなったらと
思うと・・・大変なのでホテルへ戻ることにした。












屋台を冷やかして















ホテルに戻り部屋呑みして(θωθ)おやすみ~☆

胃薬を飲んで、この後お腹は心配したが何もなく旅を
続ける事が出来た

この様な事にならないように、薬剤師の薦めで普段から
乳酸菌入りのヨーグルトを飲むようにしていたが、今回
かまけていた為かこんな結果に成った?
ビオフェルミンも、旅行には携帯していくが忘れた
次回からは、忘れないようにしよう!
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北京の旅 中山公園

太廟散策に続き中座公園に向かう
故宮の天安門から午門の間両サイドに位置している。東側が太廟で西側が中山公園


闕右門


もともとは寺院であったが、明・清の時代は土地神と五穀神を祀っていたところを1914年に孫文を記念して開拓して市民に解放した。






松柏交翆亭






社稷祭壇から中山堂を見る
社稷祭壇は、明の永楽帝が五穀豊穣を祈願するため造られた


この中山堂は、明代1421年に拝殿として建立して五穀豊穣を祈っていた
1925年に孫文の棺が一時安置された事からこの名がついた
今日は、中に入ることは出来なかったが
中には、孫文の大理石像や遺品等展示されているそうだ




雀が、中山堂妻壁の小さな穴から出入りしていたので、巣造りかなと思っていたら


やはり、つがいが


戟殿


剣舞の練習?


愉園


おばちゃんのスマホでネットサーフィンかな?
其にしても、凄い普及率で何処ででも見掛ける


格言亭(薬言亭・薬石亭とも言われる)
1915年に作られ、1918年ここに移転
八本の石柱の内側に、先人の格言が刻み込まれていた。現在は削り取られている






格言が書かれているが、詠めそうもないけど、ルーペ使えば詠めるかも(^^;;


戟門?








石獅子


習禮亭


古柏?








孫文銅像




弁当を買って


昼食して、まだまだ、散策するところがあるが南門から出てさて次へ


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北京の旅 太廟

10月19日月曜日サァー今日は、平日空いているだろうと、勇んで朝早く宿を出るが


おっ空いてるよしよし


それでも結構観光客いるな~


が~今日は定休日┏(-_-|||)┓ ガックリ
予定変更ここまで来たから仕方ない
隣に行こう~と


太廟(労働人民文化宮)
明代の永楽18年(1420)の建立で、明・清代には皇族の位牌を祀っていた。
戦後1949~50年に周恩来の指示によって荒廃していた太廟を改装して文化体育施設として市民に解放した。



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おっ!静かでいいな( v^-゜)♪










瑠璃磚門(るりせんもん)


戟門(げきもん?)






太廟(労働人民文化宮)










太廟と中殿の間


中殿の天井
他工事中の為撮影できなかった






后殿








中国軍衛兵?
行進の練習していた


太廟から見る故宮の角楼


入ったところから出て次へ向かう

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